2026-09-09 · 宇宙 · 天動説が千年以上もった理由
惑星は、星座のあいだをゆっくり移動していきます。ほとんどの期間は同じ向きに進みますが、 ときどき止まり、しばらく逆向きに進んでから、また元の向きに戻ります。 火星なら二年二ヶ月ほどの間隔でこれが起き、逆行している期間は二ヶ月から三ヶ月ほど続きます。
現象自体は、望遠鏡が生まれるはるか前から知られていました。 毎晩の位置を記録していれば、誰でも気づきます。 そしてこれは、長いあいだ非常に困った現象でした。
Problem
地球が宇宙の中心にあり、そのまわりを天体が回っている——という前提から出発すると、逆行は説明できません。 円をぐるぐる回っているものが、途中で逆走する理由がないからです。
そこで考え出されたのが、円の上をもう一つの小さな円が回るという仕組みでした。 惑星は小さな円を回りながら、その円の中心が大きな円を回って地球のまわりを進む。 こうすると、地球から見た軌跡がときどき後戻りします。
発想としては強引に見えます。ただ、名誉のために書いておくと、 この体系の予測精度は決して低くありませんでした。 円を足していけば観測に合わせられるので、ずれが見つかるたびに円を追加して調整できた。 千年以上にわたって暦や航海の役に立ち続けた、実用的な仕組みでした。
Answer
太陽を中心に置き、地球もその周りを回る惑星のひとつだと考えると、逆行はあっけないほど簡単になります。
地球は太陽のまわりを約365日で一周します。火星は外側の軌道を約687日かけて回る。 内側にいる地球のほうが速く、しかも回る距離も短い。だから地球は、定期的に火星を内側から追い抜きます。
追い抜くとき、地球から見た火星の向きは一時的に後ろへずれます。 火星が減速したわけでも、後ろに進んだわけでもありません。 見ている側が横切っただけです。
高速道路で、隣の車線の車を追い抜く場面を思い浮かべると分かりやすいと思います。 追い抜く前後の短いあいだ、その車は遠くの山を背景にして後ろへ下がっていくように見えます。 車が後退したのではなく、こちらが追い越した結果としてそう見える。逆行はこれと同じ現象です。
逆行が起きる間隔が惑星ごとに違うのも、これで説明がつきます。 地球が相手を追い抜く周期が、そのまま逆行の周期になるからです。
History
答えを知ってから振り返ると、なぜ早く気づかなかったのかと思います。 実際には、地動説には当時いくつも反論がありました。そのうちのひとつは、かなり手ごわいものです。
地球が動いているなら、季節ごとに観測地点が変わるので、 近い星の見かけの位置が一年周期でずれるはずです。年周視差と呼ばれるずれです。 ところが当時の観測では、これがまったく検出できませんでした。
理由は単純で、星が想像よりはるかに遠かったからです。 いちばん近い星でも、ずれの角度は一秒角より小さい。肉眼で分かるはずがない。 実際に年周視差が初めて測られたのは十九世紀に入ってからで、 コペルニクスの本が出てから三百年近く後のことでした。
つまり当時の人たちは、いい加減だったから天動説を採っていたのではありません。 手元にある観測と照らして、それが妥当だと判断していた。 決着がついたのは、望遠鏡による新しい観測が積み上がり、 惑星の軌道が円ではなく楕円だと分かり、 さらにその動きを説明できる力学が出てきて、全体としてそちらのほうが辻褄が合うようになってからです。
Lesson
この話で一番おもしろいのは、天文の部分ではないと思っています。 観測に合わせるために例外を足し続けていたという構造のほうです。
ずれが見つかるたびに円を一つ足す。それで確かに合う。合っているので、前提を疑う理由が生まれない。 こうして仕組みは少しずつ複雑になり、複雑になるほど、それを捨てる決断が重くなっていきます。
視点を動かすと全部が同時に簡単になる、という瞬間があります。 地球を中心から外した瞬間に、周転円は一つも要らなくなりました。 逆行は、複雑な仕組みで再現するものではなく、単に横切ったときに起きる当たり前のことになった。
同じことは、天文の外でもよく起きます。 例外条項が増え続けているルール、条件分岐が積み上がったコード、 「基本はこうなんですが、この場合だけは」が三つ以上つく説明。 たいていは、どれか一つの前提が現実と合っていません。 足すのをやめて、立っている場所のほうを動かせないか考える。 千年かけて学ばれたのは、たぶんそういうことです。
Summary
空を見上げると、天体は地球のまわりを回っているように見えます。見えている通りです。 そして見えている通りに解釈すると、逆行という説明のつかない現象が残り、 それを埋めるために仕組みが複雑になっていく。
逆行は、宇宙が変なことをしているのではなく、 こちらが動いている乗り物の上から見ているという事実の現れでした。 次に火星が空で足踏みしている記事を見かけたら、 そのとき地球が火星を追い抜いている最中なのだと思うと、少し立体的に見えます。
惑星の軌道と位置関係を実際に動かして眺められるものを Solar System 3D として作ってあります。 視点を地球に置いたまま火星を追うと、逆行がそのまま再現されるので、 文章より一度動かしたほうが早いかもしれません。